# 201 山中すみか

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201回目は山中すみかさんです

1988年に参加したロッテ主催の

「ロッテ CMアイドルはキミだ!コンテスト'88」で

3代目グランプリを獲得し

翌1989年4月にシングル「四月白書」で歌手デビュー。

第1回のグランプリ獲得者は立花理佐さん、

第2回は相川恵里さん、

第4回は宍戸留美さん

以後は歌手活動をするとともに同社製品のテレビCMに出演し、

テレビ番組にもレギュラーで出演していたが、

1993年頃より目立った活動が見られなくなった。

京都弁を交えたおっとりしたしゃべり方が特徴だった。

ディスコグラフィ

全て日本コロムビアから発売。
シングル

四月白書(1989年4月8日)

なぜ(1989年7月19日)

な・ん・だ・か・楽しい(1989年11月1日)

春 花ざかり(1990年3月1日)

FLOWER MAGIC (1990年5月1日) -

国際花と緑の博覧会マスコットキャラクター「花ずきんちゃん」テーマソング。

ピノキオ(1990年10月1日)

三日月乙女の恋の反乱(1991年3月21日)

もし、私に彼ができたら(1992年7月1日) - 大竹まこと作詞。

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# 200 田村英里子さん

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200回目は田村英里子さんです

父親の仕事の都合で8歳から13歳までを旧西ドイツ、デュッセルドルフ市で過ごし、

現地では日本人学校へ通っていた。

14歳で日本に帰国し、受けたオーディション「決定!全日本歌謡選抜・スターは君だ」で

「湾岸太陽族」を歌いグランプリを受賞。大手プロダクション各社からスカウトされ、

サンミュージックプロダクションに所属することを決める。

中学3年の終わりに上京、東映映画『花の降る午後』(大森一樹監督)に

古手川祐子さんと数シーンだが共演しスクリーンデビューを果たす。

1989年3月15日、東芝EMIから「ロコモーションドリーム」でアイドル歌手としてメジャーデビュー。

オリコン週間チャート9位初登場を記録し、同年デビューの歌手の中でもトップを記録し、

ザ・ベストテンやザ・トップテンにも多数出演した。

3枚目のシングル「真剣(ほんき)」(東芝EMI)では、1989年度の新人賞を総なめにした。

1991年にはハイレグ写真が披露された。

撮影当時、「ハイレグ」という言葉を知らずに田村さんは水着を着ていたので、

後で「あんなハイレグを着て」と言われて、「そうなんだ、気をつけなくちゃ」と思ったという。

芸名の名付け親は沖紘子さん。

女優としての活動では、NHKに多く出演している。

NHK総合テレビ『私が愛したウルトラセブン』(市川森一さん作)では、

ウルトラセブンを作った人々の舞台裏を描いた作品で主人公のヒロインを、

NHK大河ドラマ『秀吉』では、細川ガラシャ役を演じた。

民放では、日本テレビ『愛さずにいられない』、

読売テレビ朝の連続ドラマ『のんの結婚』(主演)などに出演した。

東映映画『首領を殺った男』(中島貞夫監督)では、

松方弘樹さんの相手役でヒロインのブルースシンガー「ジェーン」を演じ、

劇中でもその主題歌「悲しみでは終らない」(松井五郎さん作詞・玉置浩二さん作曲)を歌っている。

マイク・タイソンさんが試合の為日本滞在中多数のテレビ番組に出演した折、

同じスタジオ内で見かけた田村さんに夢中になり、

その頃タイソンが受けた新聞や雑誌のインタビューで堂々と

「日本に好きな女の子ができてしまったんだ」と語っていた。

同い年のタレント・島崎和歌子さんとは「英里子」「和歌子」と呼び合うほどの親友であり、

TBSの関口宏の東京フレンドパーク2に二人でゲスト出演したことがある。



#199 河田純子さん

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199回目は河田純子さんです

第2回東鳩オールレーズンプリンセスコンテストで準優勝

これをきっかけに、13歳でテレビデビュー後、シングル9枚、アルバム3枚をリリース。

アイドル冬の時代といわれた同期アイドル歌手デビューに

田村英里子さん、深津絵里さん、中山忍さん、島崎和歌子さん、千葉美加さん、川越美和さんなどがいた。

1989年、中山忍さん、田山真美子さんと共に、ユニット楽天使を結成。

1990年には、前述の楽天使に、宍戸留美さん、Lip's(加藤貴子さん、山本京子さん、吉村夏枝さん)

の4人を加えたユニット七つ星のメンバーとしても活躍した。

1991年以降、長らく芸能活動を休止していたが、

2005年11月、LENPHa(レンファ)の樹凛花(ジュリカ)として活動を限定再開。

LENPHaとしての活動は2006年4月29日に終了となったが、

同年8月6日の渋谷 27destinyで『一夜限定復活ライブ』(同窓会)を開催し、

11年振りにオリジナル曲を披露。「輝きの描写」、「HERO GIRL」、「架空の恋人たち」、

「シ・ン・ユ・ウ」、「Never Mind」、「終わらない時間」などを

はじめとしたシングル曲、アルバム曲を多数披露。

会場には山口弘美さん、江崎まりさん、近藤名奈さんが駆けつけた。

2009年12月14日、表参道FABにて、現役当時の楽曲提供者伊秩弘将さんの勧めもあり、

プロデュースイベントIJICHI's Living Door Vol.15の登場5組の最後に出演。

楽天使時代の曲である「天使たちのシンフォニー」をはじめ、

伊秩弘将さん楽曲の「四月の舗道」(本人作詞)、「放課後シャッフル」、「終わらない時間」、「シ・ン・ユ・ウ2」、

七つ星時代の曲である「クリスマスコーリング」、「輝きの描写」、「MAXIMUM」、「P.S.また逢いたい」等多数の曲を披露。

アンコールもあり50分の中でオリジナル曲、アルバム曲、ユニット曲を組み合わせ、多くの曲を歌った。

2010年9月20日、自身のブログで総合格闘家大山峻護さんとの結婚を発表し、同9月22日入籍した。

2013年4月17日、闘病生活をしている作詞家の みじゅさん を元気付けるために、

みじゅさん が作詞した曲「笑顔」、「あいたくて」(作曲/ 編曲=北岡継理)

の限定CDをトータルプロデューサー小村大樹さんの手により発表

#198 中山忍さん

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198回目は中山忍さんです

姉と弟に挟まれた3人姉弟の次女として生まれる。

日出女子学園高校、亜細亜大学中退。

日出女子学園高校では、同級生に岡本南さん、小林彩子さんなどがいた。

亜細亜大学では経済学部の加藤壽延教授のゼミ(経済政策と人口の関係)に所属。

すでにアイドルとして活躍していた姉の美穂さんを家族と共に成田空港へ見送りに来ていた時に、

美穂さんの事務所スタッフの目にとまり、スカウトをされる

(吉田啓一郎監督から声を掛けられる)。

「20歳までやってみて、芽が出なかったら辞めたらいい」

との母の言葉に背中を押され、デビューを決めた。

1988年、テレビドラマ『オトコだろッ!』で女優デビュー。

同時期に歌手活動も行っていたが、本人は歌に自信がなく積極的ではなかった。

同期歌手デビューに島崎和歌子さん、マルシアさん、田村英里子さん、

深津絵里さん、千葉美加さん、河田純子さん、細川直美さん、川越美和さんなどがいた。


当時は忍さんを取り上げた記事やインタビューに必ず「中山美穂さんの妹」とキャプションがつくことから

「やはり姉の傘の下に守られているから仕事の依頼がくるのではないのか」

と自らの仕事や在り方に悩んだこともあるという。

女優として経験を積み重ねていくしかないと決意し、歌手活動も休止。

現在まで2時間ドラマを中心に連続ドラマ、舞台、CMなどで活躍している。

1993年に『ゴジラvsメカゴジラ』、1995年に『ガメラ 大怪獣空中決戦』に出演したことで、

ゴジラ映画とガメラ映画の双方に出演した初の女優となった。NHKの科学番組などへの出演も多い。

1995年、『ガメラ 大怪獣空中決戦』では各映画祭で助演女優賞を獲得した。

なかでもヨコハマ映画祭、ブルーリボン賞では姉の中山美穂さんが

『Love Letter』で主演女優賞を受賞しており、史上初の姉妹同時受賞となった。

#197 川越美和さん

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197回目は川越美和さんです

1988年10月26日に「Looking at You」で歌手デビュー。

一正蒲鉾のCMソングのタイアップとなり、キャッチフレーズは「天然的美少女」だった。

1989年、テレビドラマ『時間ですよ・平成元年』に7代目マドンナでレギュラー出演するなど、

エキゾチックな美少女ぶりで、ポスト後藤久美子と言われ、ドラマでも活躍した。

4枚目のシングルで同ドラマの挿入歌となった「夢だけ見てる」で、

同年暮れの第31回日本レコード大賞新人賞を獲得した。

同期歌手デビューに田村英里子さん、島崎和歌子さん、中山忍さん、

深津絵里さん、マルシアさん、千葉美加さん、細川直美さんなどがいる。

1996年頃から初瀬かおる名義で活動していた。「理想の結婚」出演当時の『TVガイド』によるところでは、

芸能活動休止後の事務所移籍を機にした心機一転の意味を込めての改名で、

名前自体には特別な意味はなかったという。

その後本名に戻してからも、ドラマ・舞台・映画などで活躍を続けた。

2007年に所属事務所を辞め、芸能界から引退した。

2017年5月30日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)2017年6月13日号が報じた情報では、

引退後の2008年4月に東京都大田区内の自宅アパートで死亡しているのが発見され、

その時点で死後数日経過していたことが明かされた[2]。同誌の取材では、

川越が引退後不動産会社のテレフォンアポインターとして半年間勤めていたこと、

住居を巡るトラブルがあったこと、郷里の家族とは絶縁状態にあったことなどが、

元同僚の証言から明らかになった。

またこの報道を受けて、元恋人のカメラマンと、脚本家・桃井章さんも川越さんについて証言した。

デビュー後10代の頃の栄光を忘れられないのか、

気に入らない仕事を断るようになったために2004年頃には借金と酒浸りに陥り、

また生来の繊細さからか摂食障害を起こすなど、追い詰められていた様子を明かしている。


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