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# 217 千堂あきほさん

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217回目は千堂あきほさんです

1987年、『ロッテ CMアイドルはキミだ!』の全国大会に進出し、
芸能事務所『アーティストハウスピラミッド』の社長森山幸男氏にスカウトされ芸能界に入る。
(同コンテストのグランプリは相川恵里さん、準グランプリは島崎和歌子さん)
デビュー前は、事務所の電話番や事務などで勤務もしていた。
後に本人がレギュラーTBSラジオ番組『清水国明・千堂あきほの真夜中ジャンクション』で語っている。
1990年1月25日、『It's a Melody』でワーナーパイオニアから歌手としてデビュー。
当初は、同じレコード会社、同じ日デビューのAKEMI、広田恵さんと共にバンドブームの中、
新生本格派女性ボーカリストして売り出された。ライブハウスを拠点とする地道なライブ活動をスタートさせる。
深夜バラエティー番組『オールナイトフジ』の司会で人気に火がつき、
学園祭のアイドル(学園祭の女王)と言われた。
その後、女優業に専念し、ドラマ、CM、映画など幅広く出演。
2000年の大晦日にスキューバダイビング指導者の男性と結婚。
2010年まで関西、2011年から北海道を拠点にして活動する。
2008年8月3日、第一子(長女)を出産したことが、オフィシャルサイトDiary(8月4日)で発表された。
2011年4月16日、第二子(次女)を出産したことが、オフィシャルサイトDiary(4月16日)で発表された。
2014年10月から、東京のキー局・フジテレビジョンのバラエティ番組「マネースクープ」にて関東のメディアに復帰。
兵庫県尼崎市(園田)出身。兵庫県立宝塚北高等学校演劇科1期生。
小学校時代の担任の中には、後に百ます計算の陰山メソッドで有名になった陰山英男さんもいた。
女優としては『東京ラブストーリー』や『振り返れば奴がいる』、
『夜逃げ屋本舗』などでの硬派で大人の女性役や有能なキャリアウーマン役で成功。
歌手・女優・タレントの杉浦幸さんとは、生年月日が全く同じである(1969年4月5日生)。
2017年6月3日放送の『かんさい土曜ほっとタイム』で、この年に他界した父親への謝意を述べた際に、
自身の性格を「私は見た目は大雑把に見られがちですが、実は物凄く深く考え込む性格なんです」と語っている。
現在は、夫の実家がある札幌市内で三世代で暮らしている。

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#216 鷲尾いさ子さん

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216回目は鷲尾いさ子さんです

新潟県新潟市出身。

1983年(昭和58年)から『装苑』の専属モデルとして表紙連載を続け注目を集める。

1983年1月号から1984年12月号まで連続24ヶ月の表紙モデルは、『装苑』の最長記録である。

1985年(昭和60年)の全日空水着キャンペーンガールに選ばれたことがきっかけで、メジャーデビュー。

1986年(昭和61年)に主演した映画『野ゆき山ゆき海べゆき』ではヌードを披露。

1987年(昭和62年)にはパリコレでモデルを務める。

1989年(平成元年)、サントリーから発売された「鉄骨飲料」のCMでブレークした。

私生活

デビューしてから10年の1995年(平成7年)9月に俳優の仲村トオルさんと結婚。現在、二児の母親。

「新・家族シャンプー・メリット」など、花王製品のCMでは夫婦共演した。

2004年頃からは、家事や育児に専念することが多いという。

2013年(平成25年)4月25日、数年前から闘病中であり

単独での外出が困難になっているとの情報を、一部のメディアが伝えた。

CM[
全日空(1985年 - 1987年)
UCC上島珈琲 UCCオリジナル(1986年)
「コーヒー色の~(~には季節ごとに「夏太郎」(夏)、「冒険小町」
(秋)、「スーパーエンジェル」(冬)、「ワンダービーナス」(春)が入っていた)」シリーズCM
サントリーフーズ「鉄骨飲料」(1989年 - 1990年)
埼玉銀行(1989年 - 1991年)
協和埼玉銀行(1991年 - 1992年) - 中山美穂と共演
服部セイコー「LUCENT」(1991年)
NEC「パラボーラX9」(1990年 - 1991年)
エアステップ(1993年)
武田薬品工業「ベンザエース」(1993年)「ベンザブロック」(1994年 - 1995年)
花王
「エッセンシャル ナチュラルスタイリング」(1989年 - 1991年)
「ステーシア」(1994年)
「ソフィーナ」(1994年)
「メリット」(2004年 - 2008年) - 夫・仲村トオルと共演
スイス・エミー 果実頃 フローズンヨーグルト(1994年)
外務省 パスポート期限10年制告知キャンペーン(1995年)
芝パーク出版「saita」(1996年)
スズキ「アルト」(1994年 - 1998年)
サッポロビール「ドラフティ発泡酒」(1996年)

# 215 和久井映見さん

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215回目は和久井映見さんです

埼玉県立川口青陵高等学校在学中の16歳の時、

東京ディズニーランドでスカウトされて芸能界入り。

1988年4月、ドラマ『花のあすか組!』で芸能界デビュー。

また同年、JR東日本「青春18きっぷ」のキャンペーンガールに起用された。

1990年1月、ポリスターから「マイ・ロンリィ・グッバイ・クラブ」で歌手デビュー。

1997年までCDリリースは続き、康珍化が作詞・イメージプロデュースを担当、

当時同じ事務所・レコード会社所属であったWinkと同じく門倉聡が大半の楽曲の編曲を担当していた。

ただ歌手活動は『歌のトップテン』、『スーパージョッキー』ほか、

いくつかの番組で披露した程度で、イベント、コンサート等の活動は行っていない。

1991年、映画『息子』『就職戦線異状なし』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞受賞。

1993年、映画『虹の橋』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞などを受賞。

サントリー「モルツ」ビールのCM「うまいんだな、これが」が流行語になった。

1994年、『夏子の酒』で連続ドラマ初主演。

1990年代に主演した月9ドラマ、1994年の『妹よ』、

1996年の『ピュア』、1997年の『バージンロード』は、いずれもヒットし、高視聴率を獲得した。

1995年11月、『夏子の酒』で共演した俳優・萩原聖人さんと結婚。

1999年10月、第1子となる長男が誕生。

2003年7月、萩原さんと離婚。親権は和久井さんが持っている。

2013年2月、三谷幸喜さんの舞台『ホロヴィッツとの対話』で渡辺謙さんの妻役で舞台初挑戦。


#214 ribbon

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214回目はribbonです

メンバーは、永作博美さん、松野有里巳さん、佐藤愛子さんの3人。
当初の結成計画では永作、松野と、中嶋美智代さんの3人だった。
田辺エージェンシー所属ということもあって、バラエティーアイドル的な活動が多かったが、
乙女塾出身タレントの中では歌唱力の優れたメンバーが揃い、楽曲もアイドルらしい愛らしい曲、
旋律やハーモニーの美しい曲から、コミカルな曲まで、様々なタイプの曲をこなしている。
アイドル冬の時代において、同じく乙女塾からデビューした、CoCoらとともに人気を博した。
またデビュー曲のみ松野さんがセンターだったが、セカンドシングル以降は永作さんがセンターとなる。
コントにも積極的で、女性アイドルグループには珍しい、自身のコント番組まで持っていた。
永作さんはこれらの経験を経て本格的な女優に転進していく。
Qlair同様、正式な解散発表も解散関連のリリースやイベントも一切行われず、
徐々に段階的に活動が減少し解体されるに至った。
したがって最終となったリリースやイベントも、実施された時点ではそのような告知はされておらず、
グループ消滅によって「結果的に最後」だったことが確定したもののみである。
またそれらは実施時期もバラバラである。
1993年10月、シングル「夜明けなんていらない」発売。これがラストシングルとなる。
1993年12月、東京厚生年金会館でライブを行う。有料の正式ライブはこれが最後だった。
これ以後グループとしての新たな展開はほとんどなくなり、活動停止状態に入る。
1994年3月、上記ライブを収録したライブアルバム「ROCK'N'ROLL RIBBON」および既発売曲4曲入りビデオクリップ集発売。
グループ存続中の、ribbon単独名義での作品リリースはこれが最後である。
なおビデオクリップ集については、当時「BOMB」(学研)が新譜の解説ページで「『最後の』新曲のカップリング曲ほか」と記述しており、
1993年秋頃からすでにグループ活動終息に向かう動きがあった可能性が伺える。
1994年7月、ribbon&ピラニアンズ名義で2枚の限定アナログEP盤を発表。企画盤であるが、これがグループ存続中の最終リリース作品であった。
1994年10月、TBS新社屋ビッグハット完成特番にて最後の生放送出演。
また、この直前、NTV系「THE夜もヒッパレ」に出演した際、「TVは久しぶりだから緊張してます!」と松野さんが語っている。
1993年まで毎年あった夏のライブも行われずじまいで、また新曲のリリースがなくなってから
1年も経っていたこの時期に、なぜ唐突にこうした仕事をしたのか理由は不明である。
このように、1994年には本格的なグループ活動はほとんどなくなっていたが、
散発的に小規模な活動を続けていたことがグループがいつ頃まで存在していたのか曖昧な原因となっている。
1994年末頃(1995年に入ってからという説もある)松野さんの田辺エージェンシー退社により完全に消滅。
もっとも、1994年に入ると上記のようにグループとしての活動がほとんどなくなったのみならず、
「BOMB」「近代映画」「UP to boy」といったアイドル雑誌に3人揃いで掲載されることも激減しており、
1995年以降のグループ活動再開・継続の予定があったかどうかも定かではない。
実際にはすでに名目上のみとなっていたグループの存在を完全に抹消する
「現状追認」といった意味合いの強い幕引きであった。

# 213 宮沢りえさん

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213回目は宮沢りえさんです

11歳の頃にモデルとしてデビューし

程なくして雑誌 『週刊セブンティーン』(当時)の表紙モデルとなった。

1987年(昭和62年)、CM『三井のリハウス』の

初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった。

同時期から活躍していた後藤久美子さんとは、

同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった。

後藤さんとは11歳の頃、キットカットのCMで共演歴がある。

10代の頃には、17歳の時に『ふんどしカレンダー』や、

18歳の時にはヘアヌード写真集『Santa Fe』などの奇抜な話題作り、

そしてマネージャーを務めていた母親(通称・りえママ)の存在とで注目された。

婚約や婚約解消、また男性との交際、さらに拒食症の噂など、

芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、

アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期は芸能活動休止状態となった。

激痩せから回復して来たと見られる頃から、徐々に芸能活動を再開し、

2002年(平成14年)の『たそがれ清兵衛』で落ち着いた演技を見せ、

映画の成功以降は、女優としての活動の幅が広がり、

本格派女優としての評価が定着しつつある。

尊敬する岡本太郎が書き綴った「生きること、死ぬこと」「夫婦愛」などの

詩を朗読する活動も行っている。柔らかなウィスパーボイスの持ち主で、

ナレーション業も多く務めている。

2009年2月14日、妊娠6か月であることを所属事務所からのFAXで発表。

後日の2月20日の報道で、相手は40歳代のハワイ在住、

日本人実業家で元プロサーファーであることが明らかになった。

同年4月上旬に婚姻届を提出。同月6日に東京都内で挙式した。

同年5月20日に女児を出産した。

2012年5月8日、一部のメディアにより離婚することが報じられ、

同日に所属事務所からのFAXで離婚協議中であることを認めた。

2016年3月18日に正式に離婚を発表した。

2018年3月16日、V6・森田剛さんと結婚。

これを報告する封書が、V6のファンクラブ会員に送付された


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