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# 213 宮沢りえさん

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213回目は宮沢りえさんです

11歳の頃にモデルとしてデビューし

程なくして雑誌 『週刊セブンティーン』(当時)の表紙モデルとなった。

1987年(昭和62年)、CM『三井のリハウス』の

初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった。

同時期から活躍していた後藤久美子さんとは、

同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった。

後藤さんとは11歳の頃、キットカットのCMで共演歴がある。

10代の頃には、17歳の時に『ふんどしカレンダー』や、

18歳の時にはヘアヌード写真集『Santa Fe』などの奇抜な話題作り、

そしてマネージャーを務めていた母親(通称・りえママ)の存在とで注目された。

婚約や婚約解消、また男性との交際、さらに拒食症の噂など、

芸能マスコミからのバッシング報道が相次ぎ、

アメリカサンディエゴへの移住を発表するなど、一時期は芸能活動休止状態となった。

激痩せから回復して来たと見られる頃から、徐々に芸能活動を再開し、

2002年(平成14年)の『たそがれ清兵衛』で落ち着いた演技を見せ、

映画の成功以降は、女優としての活動の幅が広がり、

本格派女優としての評価が定着しつつある。

尊敬する岡本太郎が書き綴った「生きること、死ぬこと」「夫婦愛」などの

詩を朗読する活動も行っている。柔らかなウィスパーボイスの持ち主で、

ナレーション業も多く務めている。

2009年2月14日、妊娠6か月であることを所属事務所からのFAXで発表。

後日の2月20日の報道で、相手は40歳代のハワイ在住、

日本人実業家で元プロサーファーであることが明らかになった。

同年4月上旬に婚姻届を提出。同月6日に東京都内で挙式した。

同年5月20日に女児を出産した。

2012年5月8日、一部のメディアにより離婚することが報じられ、

同日に所属事務所からのFAXで離婚協議中であることを認めた。

2016年3月18日に正式に離婚を発表した。

2018年3月16日、V6・森田剛さんと結婚。

これを報告する封書が、V6のファンクラブ会員に送付された


# 212 CoCo

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212回目はCoCoです
1989年、フジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の乙女塾から誕生した、
女性アイドルグループである。当初メンバーは5人だったが、
1992年に瀬能あづささんが脱退し、その後は4人で活動を続け、1994年に解散。
メンバー
宮前真樹(みやまえ まき)さん-乙女塾1期メンバー
羽田惠理香(はねだ えりか)さん-乙女塾1期メンバー
大野幹代(おおの みきよ)さん-乙女塾1期メンバー
三浦理恵子(みうら りえこ)さん-乙女塾2期メンバー
瀬能あづさ(せのう あづさ)さん-乙女塾2期メンバー、
1992年5月17日、日本武道館でのコンサートを最後に脱退。
1989年9月に「EQUALロマンス」でデビューして以降、
「横浜Boy Style」まで、11曲連続ベスト10入り、
3枚目のシングル「夏の友達」から「Newsな未来」まで、4曲連続ベスト3入りを果たしている。
乙女塾全体としてのレギュラー番組である『パラダイスGoGo!!』と『週刊スタミナ天国』を除くと、
レギュラー番組を持たなかった。
中心メンバーだった瀬能あづささんがソロ活動専念を理由に、1992年5月17日の日本武道館公演を最後に脱退。
その際、新メンバー補充の計画もあり、ファンクラブの会員に対し応募要項、
応募用紙が送付されたりしたものの結局メンバー補充は白紙となり
その後1994年9月30日に解散するまで4人での活動を継続した。
なお、三浦理恵子は解散後から現在もプロダクション尾木に所属しており、
残り3人はそれから数年後、事務所を移籍した。
5人時代の頃は、テレビで唄う時の衣装は色別ものの衣装が多かったが、
特別、誰が必ずこの色を着るということははっきりと決まっていなかったらしい。
そのため、メンバーは毎回、ローテーションで違う色を着るというケースも少なくなく、
光GENJIやかつての音松くんを演じた時のSMAPなどのような
メンバーそれぞれのイメージカラーを定着することができなかった。
しかしながら、宮前=赤、羽田=緑、瀬能=青、三浦=ピンク、大野=黄となるパターンが割合多く、
特に「ささやかな誘惑」が発売された頃にはそのパターンがイメージカラーとして定着しつつあった。
しかし、次作「Live Version」では、3種類の衣装が用意されていたものの、
最も使用頻度の高かった衣装では瀬能=黒、三浦=青、となっており(他の3人は変更なし)、
同一カラーを長期間定着することはなかった。
CoCoにはリーダーがいなかったが、年長者の宮前さんと羽田さんがそれぞれリーダー的役割を果たしていた。
コンサート等での司会進行は主に2人が担当し、歌番組等でグループを代表して話す場面では羽田さんが、
コンサートの段取り等をメンバーに説明する場面では宮前さんが、主にその役目を担っていた。
雑誌のインタビューでも、最初に話すメンバーが宮前もしくは羽田であった。
CoCoがテレビで歌を披露する時には、基本的に瀬能がセンターを務めていて、
CDジャケットにおいても彼女が中央に写ることが多かった。
そのため、「CoCoのエースは瀬能あづさ」というイメージが多くのファンに浸透していった。
『BOMB』では解散までに半年に1回ペースで巻頭を飾っていた。しかも7回で新記録である。
ソロ活動が充実してきた1992年は、1年のうち5回がCoCo・メンバーであった。
瀬能卒業後の「メンバー補充計画」はメンバーも驚いたという。
メモリアル写真集「未来はCoCoから」の中でも、「4人で泣いて抗議した」という宮前の記述が見受けられる。
現在、宮前・大野・三浦には親交があることが確認されており、三浦と宮前はお互いのブログに度々写真を掲載している。


# 211 田山真美子さん

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211回目は田山真美子さんです

日出女子学園高校卒業
1986年、テレビドラマ『もりもりぼっくん』(フジテレビ系)にてデビュー、
以降子役として活動する
1988年、増田未亜と出演したオリジナルビデオ『地球防衛少女イコちゃん2』が
アイドルマニアに高く評価された。
1989年、夏休み期間中の15分枠の昼ドラ帯のテレビドラマスペシャル『夏色怪談』(全10話)で、
不慮の転落死を遂げてしまった事で、自身の死因を思い出せず
成仏出来ない幽霊となって現世を彷徨う女子中学生のヒロイン役を演じた。
先述のテレビドラマ放映終盤に差し掛かった8月21日、
アイドル歌手としてCBSソニーより『青春のEVERGREEN』でCDデビュー。
キャッチコピーは「いちばん会いたかった君が最後に微笑んだ。」。
同年、中山忍さん・河田純子さんさんとクリスマスをモチーフとしたユニット「楽天使」を結成し、
NHK『みんなのうた』に楽曲が起用され、翌1990年には、中山さんさん・河田さんさんおよび
宍戸留美さんさmん・Lip'sとのユニット「七つ星」としても活動を行った。
1991年以降はアイドルとしての活動を休止し、女優へ転向。
1995年発売の写真集『Pureness』にてオールヌードを披露した。

青春のEVERGREEN / 永遠がいい(1989年8月21日)[作詞:麻生圭子・作曲:井上ヨシマサ・編曲:井上 鑑]
フジテレビ系アニメーション『名門!第三野球部』エンディング・テーマ曲。
あの頃、ラスト・クリスマス / 風待ち通り(1989年12月1日)[作詞:麻生圭子・作曲:都志見隆・編曲:井上 鑑]
春風のリグレット / さよならにはサヨナラを(1990年2月21日)
あなたが微笑むなら / 私だけのホロスコープ(1990年7月21日)
無人駅 / 冬の水族館(1990年12月21日)
アルバム[編集]
瞳の法則(1990年3月29日)
詩小説(シナリリック)(1991年2月21日)
田山真美子オールソングス・コレクション(2012年4月21日)-
SONY MUSIC SHOPオーダーメイドファクトリー限定盤(CD3枚組全曲集)
イメージビデオ[編集]
NEAR THE I・D・O・L (1990年)
自分ひとりに逢える場所 (1991年7月)
CMイメージキャラクター[編集]
瀧本(スチール)
学生服ブランド『スクールタイガー』、『エコール』
ブルボン(1989年)
『チョコあーんぱん』


# 210 西野妙子さん

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210回目は西野妙子さんです

東京都足立区出身。小学生の頃浅草花やしきに

遊びに来ていたときにスカウトされ、

藤井一子さん、咲浜小百合さんなどが所属していた

芸能事務所ハッシープロモーションに所属。

1989年(平成元年)4月、田原俊彦さん主演の

フジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語II』で

観月ありささんらと生徒役で出演。

同年8月、フジテレビ系ドラマ『ゴメンドーかけます』

主題歌「WANT YOU!」で、「たえこ&ゴメンドーKIDS」名義でプレデビュー。

1990年(平成2年)6月、アイドル歌手として

「A級キッス」でデビューするも、

ヒット曲や代表曲と見なせる曲には恵まれず、

次第に尻すぼみ状態となってしまった。

この間に堀越高等学校を中退している。

また、同級生で同期デビューの早坂好恵さんとは大親友だった。

新曲のリリースが途絶えた1994年頃にはサンズ所属となっており

(この間に所属事務所を3回ほど移籍している)、

女優・タレントとして活動が中心となる。

1996年(平成8年)、テレビ東京系バラエティ番組『ASAYAN』内の

小室哲哉さん主宰のオーディション「コムロギャルソン」に応募、

合格して小室プロデュースによるユニット、dosのメンバー「taeco」として活動。

ヒット曲にも恵まれる。dosの主な活動期間は約1年で、

翌年の1997年(平成9年)はtaeco名義(小室哲哉プロデュース)で再びソロシングルを発売したり、

dosのメンバーasamiさんとともに映画出演をするなど、活動はあったが、

dos全体の目立った活動はなくなり、

正式な解散等のアナウンスはなく自然消滅した。

その後名義が再び西野妙子に戻り、女優業中心の活動となる

(この当時の所属事務所は鈴木あみさんも所属していたエージーコミュニケーション)。

2001年(平成13年)、所属事務所をセブンス・アヴェニューに移籍し、活動が活発化。

しかし、2007年(平成19年)には同社サイトのタレント一覧に西野の記載はなくなっており、

その後の消息は不明。


# 209 田中美奈子さん

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209回目 田中美奈子さんです

1985年、八千代松陰高校卒業。
同校在学中の1984年に「ミスマガジン」の準グランプリを受賞した。
その後は1987年に「87イエイエガールズ」を結成して活動した。
テレビでは1986年から、TBS「モモコクラブ」桃組No.1312としても活躍した。
1989年、当時の所属事務所「ビッグ・ワン」の社長夫人(その後離婚)が
元歌手の安西マリアさんという縁で、
安西のカヴァー曲『涙の太陽』で歌手デビュー。超ミニスカートの美脚で「学園祭の女王」と呼ばれた。
と同時に、所属事務所が田中の瞳に1億円の保険を掛けたことでも話題となった。
同期歌手には吉田栄作さん、マルシアさん、島崎和歌子さん、
中山忍さん、田村英里子さん、細川直美さん、川越美和さんなどがいた。
その後1995年を最後に歌手活動は事実上中断
(2004年にベストアルバムの出版はある)。
1999年には、山本リンダさんや島田歌穂さんを賛同人に、
動物愛護団体elfを設立している。
同団体は2007年にNPO法人Ever Lasting Friendsとなる。
2003年に、当時35歳で創価大学文学部に入学。
当時の創価学会での役職は女子部の副リーダーと地区リーダーだった。
2007年9月12日、同じ町内で
15年来家族ぐるみの付き合いをしていたという
7歳年下の俳優・岡田太郎と結婚した。
2008年4月15日、第1子となる女児を出産。
夫の誕生日に合わせて、帝王切開で出産した。
2009年12月16日、第2子となる男児を出産した。

涙の太陽(1989年7月26日)
BE MY BABY(1989年11月1日)
夢みてTRY(1990年5月9日)
Dancing in the shower(1990年8月29日)
左手で誘惑TONIGHT(1991年2月6日)
ギリギリしてる(1991年7月24日)
恋のバカンス(1992年4月17日)
SEASON(1992年7月25日)
ラスト・グラジュエイション(1993年5月1日)
眠らない街(1993年9月25日)
もう一度 ROLL ON(1994年1月25日)
探さないで(1994年5月25日)
Tears(1995年10月25日)


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